小学校の頃、僕はいじめっ子でした。
友達の駒を横取りしたり、蹴ったり、それなりにジャイアン的な行動をとっていたんです。もちろん、親御さんからお叱りを受けて謝りに行ったこともあります。その分、自分の好きなことを実行できていたともいえるかもしれません。
でも、いつからか。
人と争わないように。自分の意見があっても相手の言っていることを否定しないように生きるようになっていました。
嫌われることを極度に恐れる
嫌われることをずっと避けてきました。
今でも変わっていないと思います。「思います」という表現は、ちょっと不適切ですね。今でもそうです。
仕事をしていても、遊んでいても、家にいる時でも。
なぜ嫌われたくないか。
多分、『人からよく思われたい』・『いつもいい人と言われたい』という気持ちが強いんですよね。
つまり、自分を偽ってでも相手の機嫌をとってしまう。その状態からずっと抜け出せずにいます。
自己啓発本を読んだり、ネットで調べたり、いろいろ変わろうと努力もしました。実際、仕事では自分の意見を真っ直ぐに伝えてそれなりに評価もされています。
でも違うんですよね。
心の中では、いつも怯えている。
私は、『別に、合わない人とは話す必要はないので』とよく口に出します。それは、本心です。ただ、その中にも小さな黒いカタマリのような固く取れないモヤモヤしたものが残る。
無理に、そう思わせている感じなのです。
幼少期の埋め込まれた記憶は消えない
僕の親は、とても短気でいつも怒られていました。
正直言うと、体罰とまでは言い難いですがそれなりのことをされてきました。自分に被害があるのはいいんです。
ただ、一番しんどかったのは、
『友達の前で、物凄い形相でののしられる』
ことでした。本当に辛かった。教室で、残しの課題をしているときに中まで入ってきて、たくさん友達がいる状態で罵倒されたりなんて日常茶飯事でした。
その頃から、僕は親の機嫌を最優先に考えるようになっていきました。
「怒られないように」・「周りからいい親だ」と思ってもらえるように。自分の意見を押し殺すようになったのは、この経緯があるからです。
決して、全てを親のせいにするつもりはありません。
自分で決めた行動であり、今では両親には感謝をしています。
ただ、
その頃の「怒られる恐怖」や「常にいい子でいる」っていう埋め込まれたココロは36歳になった今でも、簡単にとれることはありません。
努力しても、どうしようもできない。
子供のころに刻まれた習慣は、そう簡単に払拭されるものではないんです。だから、僕と同じように苦しんでいる人がいるはずです。
きっと、表面はポジティブに見せているけど、本当は・・・って人が。
でも、もういいや。
自分のことは誰もわからないんだし、どれだけ嫌われても関係ないって割り切ってみたんです。
変わらなくてもいい。表面だけでもいい
僕は、今、職場で気の合わない人はたくさんいます。
入社当時は、みんなに愛想を振りまいていい人を演じてきましたが、今は違います。
合わない人とは話さないし、目も合わせません。
内心は、嫌われたくないってココロがあるので少し辛いです。というか、そのことを考えることがめんどくさいです。
でも、どうでもいい。
僕の感情は変わることはないでしょう。いい人と思われたい。それは今もあります。
そんな感情を持ちながら、表面だけでもいいから。
他人の目を無視してみる。僕は少しづつ実行していきました。どうせ、嫌われたって死ぬ訳じゃないし。
いい人でいたって、本当に自分と相性の合う人を見つけるのは難しいから。
嫌われたくないけど、本当に大切な人と出会わなくなる方がよっぽど辛い。
少しづつ、嫌われる練習をしていったんです。
思っているほど、影響なかった
今まで遊んでいた友達も、もうほとんど会っていません。誘われることもないです。
それはそれで、寂しかったりします。
その分、本当に気の合う人に出会ったり、本心で時間をともにできる人と仕事ができたり。
いい人を完全にやめることはできないけど、少しづつ自分の本心を出せるようになってから、周囲の『人』が変わりました。
そして、一番驚いたのは、
『思っていたほど、苦しいものではなかった』
と言うことです。完璧な答えが出ているわけでもないし、僕のことを嫌っている人も多いでしょう。
それを踏まえても、いつの間にか「別にいいや」って思えるようになってきたんですよね。
この感情って、「好きな人を忘れるのは時間」と呼ばれる表現に近い気がしています。
もし、同じような環境で悩んでいる人がいるなら、
これをしたらいいとか、これはダメとか、そんな偉そうなことは言えないけれど
『案外、嫌われても影響ないもんだったよ』ってことが伝えられたらいいなって思います。
まとめ:ココロは変わらないけど、悪いもんじゃない
今でも、周りの目を気にします。僕はそういう人間。割り切っています。だって、簡単に変わらないから。
どんな自己啓発本を読んでもね。
だけど、嫌われても、陰で悪口言われても、その分自分の感情は解放される。
少しだけでも、ラクになる。
これを読んでいる全員がそうじゃないかもしれない。そう簡単じゃないって思うかもしれない。気持ちはよくわかります。
ただ、僕から伝えられるのは、
『ちょっとだけ本心で生きるのは、案外悪い方向にはいかない』
ってことです。
これからも、僕は人目を気にして生きていくのは変わらないでしょう。
そんな中でも、少しだけでも自分を出していったり、周囲のことよりも自分を大事にしたり。
全部変えようと思うんじゃなくて、この感情と向き合って生きていけたらって思ってます。
今日はここまで。
ほなの
docan